2025年6月15日日曜日

久しぶりに教会礼拝とミニコン

 シャンテが こういう形で教会奉仕をさせてもらうのは何回かあるが そのほとんどは 礼拝後の場所と時間をお借りして コンサートをさせていただいた形だった ま 普通の活動範囲なら当然で当たり前

聖ヨハネ教会
       

川口教会

 

 ただ 昨冬の聖ヨハネ教会や 今回の川口教会は違った いずれもXマス もしくは三位一体主日の礼拝そのものに関わる形で礼拝中に奉唱し 礼拝後に数曲歌わせて頂くという形が共通している この2つに共通するのは いずれも日本聖公会の教会だったという点だが これは特に関係なかろうかと思われる 今回で特に新しかったかと思われるのは 牧師先生(司祭?)がミニコンのときに合唱団に加わって一緒に歌って頂けたことだろう

 こういう場合に一番心せねばならないことは 単に楽曲をキレイに歌うということではない キリスト教信者であろうとなかろうと その歌の前後に読まれた聖書の言葉 司祭の説教 それらを心にとどめて “そうあってほしい” という思いを歌声にのせる その心持ちが 普通ステージで宗教曲を歌うのとは違った 大切なポイントのだろう

 礼拝中:説教後 Laudate Dominum(Mozart)
     聖餐式中 Ave Maria(Arcadelt) Ave verum(Mozart)

 その「思い」というスタンスは 礼拝後では必要ないのか といえば難しい 「宗教曲」関連ならば異なるところは無いはず なのだが 礼拝中ならば会衆(聴衆)の心に最低限の “聴く準備” が 聖書朗読や説教などで用意されている しかし礼拝後のミニコンはといえば 一般のコンサートとさほど違いはない 礼拝中に歌う側に必要とされない訳ではない=歌う側の準備が ミニコンの場合 歌声オンリーで聴衆に届かなければならない これは単にキレイに歌うだけでは到達しえないのだ

 礼拝後ミニコン Ave Maria(Bach/Gounod) Jesus bleibet meine Freude(Bach) Wie der Hirsch schreit(Mendelssohn)
 
 いつもながら 乃公の思い込み満杯の「牡鹿」は精いっぱい思いを込めて歌えたと思う Kantate 147も同様 唯一つ グノーは何回目かであるはずなのに 上手く歌えない これは高橋さんのせいではない 他人に責任を擦り付けるようで心苦しいのだが 凝った=Bsの8va跳躍=編曲のせい??? 乃公的にもう一つなじめない(こういう苦手意識は無くさなければいけないのだが この齢に至っては キツイ)



 それにしても 司祭先生はじめ教会のメンバー諸兄姉のお心配りで 楽しく 心豊かなひと時を過ごすことができた 記して深甚の感謝である


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